高校時代のテニス部仲間たちと久しぶりに飲み会がありました。
卒業して、はや20年余り。
ついこないだも同期会をした気がしていましたが、前回みんなと会ったのがもう3年前。
光陰矢の如し。
働き盛りでもあり、子育て世代でもある我々アラフォー世代。
同期6人全員が予定をあわせて集まるのはなかなか大変です。
今回は、地方転勤しているメンバーの東京出張のタイミングに合わせてなんとか全員集合。
LINEグループでは連絡を取り合っていたこともあってか、不思議と久しぶりな気がしません。
SNS全盛の時代にあって、なんとなくお互いの近況を把握しているので、ちょくちょく会っているかのような錯覚に陥ります。
高校を卒業してからもうすぐ四半世紀が経つというのに、学生時代の仲間というのはやっぱり変わらないものです。
白髪が増えてたり、太っていたり。
出世してたり、相変わらずだったり。
結婚してたり、子供ができたり。
離婚してたり、再婚してたり・・・。
それぞれには色々あっても、みなで会話をすれば一瞬であの頃に戻れます。
母校の日大豊山高校は、私たちの少し上の世代まで東京都でも4強の一角を占める強豪校でした。
もともと私も強い高校でソフトテニスがしたいと思いその門を叩きましたが、顧問の交代やそれに伴いスポーツ推薦がなくなったり、代わった先生が素人で練習もおざなりになったり。
さまざま要因が重なり、私たちの代では弱体の一途を辿っていました。
少し下の代から古豪復活して、一時期は豊山が東京都のトップに立った時期もありますが、私たちはまさにその狭間の世代。
自分たちのなかにも、「俺たちの頃のあれは、部活ではなくサークルだった」という自覚があります。
推薦入学の選手もいない私たちの代は、まさに雑草集団。
入部当初は30人近かった同期も、結局最後まで残ったのが6人。
下手くそで練習もいい加減でしたが、部活が大好きな奴らばかりでした。
たった1面しかないコートで貧弱なナイター照明のなか、毎日真っ暗になるまで練習していたものです。
練習といっても、その9割以上は乱打とジャンケンでペアを決めてゲームだけなのですが・・・。
その甲斐あってか、個人戦では関東大会出場。
団体でも予選でベスト8入りして、あと一歩でした。
今でも、あのときの関東出場がかかった5位決定戦のオーダーが正しかったか間違っていたかで、議論に花が咲きます。
高校時代の部活のことは、およそどんな些細なことも昨日のことのように覚えているのですが、今回言われるまですっかり忘れていたことがありました。
3年の最後のウェアを注文しにウィンザーラケットショップに行ったときに、当日来なかった人間のネーム刺繍にいたずらをしたという話。
(画像提供:よこうだ)
来なかった人の分は、すべて「〜ぞう」にして発注しました。
「いまにし → 今蔵」
「えんどう → 遠像」
「てらだ → 寺造」
しかも、なぜか字までそれぞれ変える凝りよう。
記念に残るチームウェアで、しかも親の金で買っているものに、一体なんということでしょう。
分別のつかない高校生の悪ガキたちのやることは危険です。
毎度しょうもないことをしていたことも、長いものに巻かれて「やめとけよ」と言えなかった小心者の部長(私)も、当時の気持ちがあれこれと思い起こされます。
毎日部活動に明け暮れてはいたものの、練習を早めに切り上げてはカラオケに行ったり、ゲーセンに行ったり、合コンしたり。
ちょっと風が強いと部室でトランプゲームにのめり込んだり。
仲間の家に集まっては、「Jリーグエキサイトステージ(スーパーファミコン)」で喧嘩するほど熱くなったり、毎回親父さんにご飯をご馳走になったり。
真面目なのか不真面目なのか、おそらく後者だったのでしょうが、楽しい仲間たちとの部活に熱中していたのは間違いありません。
【青春Photoシリーズ】
みんな、すっかりいいおっさんになりましたが、中身はそうそう変わらないものです。
10代の、それもたった3年間しか一緒に過ごしていないはずなのに、驚くくらいお互いのことをよく知っています。
それだけ濃密な時間だったのかもしれません。
文字どおり「同じ釜の飯を食った」仲間だからこそ、こうして生涯の友となりえます。
きっと60歳になっても、同じネタで爆笑していることでしょう。
大人になると、仕事や家庭でも何かとしがらみが増え、世間体や立場を気にしたりとありのままのピュアな自分でいられることが難しくなります。
いくつになってもおバカ丸出しな自分を、快く受け入れてくれる仲間がいることに深く感謝。
この日、6人の中からさらに選りすぐりの精鋭3バカで、終電なくなってまでカラオケで歌い狂い、精魂尽き果ててお開き。
いい歳こいてからの・・・
うれし恥ずかし朝帰り。
うーん、朝日がまぶしいっ!
たっぷりと元気補給させてもらいました(笑)。
突然のコメント失礼いたします。
ブログを見て、つい懐かしくなってしまいました。
恐らく4~5年ほど上の代で部長を務めておりました。
※東京では常に3位あたりをうろついてた世代です。
ごく稀にしかテニスはしませんが、
未だにウッドのカーボネックスやニューナンバーワンを愛用しています。
ブログ楽しみにしていますね!
コメントありがとうございます。
巣鴨商、駒大の2強に次いで日大豊山という世代ですね。
その強い豊山に憧れて入学したものの、私たちの代では伝統を受け継ぐことができず低迷しておりました(^^;)
それはそれで楽しくやっていましたが、今思えば一番伸び盛りの高校時代にもう少し真剣にテニスをしていれば・・・という気持ちは少なからずあります。
後悔先に立たずですね。
私も選手として、下手の横好きでシニアになるまで長く楽しんでいきたいと思っています。
どこかで機会があれば、お会いできるのを楽しみにしております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
はじめまして!ブログ見てコメントさせて頂きました。
私も日大豊山ソフトテニス部出身の者です。
歳も30代半ばになり、歳の衰えと共に今年から健康が一番気になり16.17年振りに、また先輩の紹介もあり週1回ではありますが、始めました。
私は、家庭の事情で大学1年の夏でラケットを降ろさないといけない状況になり、大学は卒業しましたが、そこからはほとんどソフトテニスとは縁がなく、30過ぎてから久々に楽しんでいます!
母校のテニス時代が懐かしいですね!
部室とかかなり懐かしいです。
ブログ楽しみにしています!
コメントありがとうございます!
今30代半ばということはきっと豊山が一番強かった頃ですね。
私も10年以上ブランクがあって、最近になって再開しましたが、
私に限らずそういう人は周りにも少なくありません。
ぜひ機会があれば、練習や大会などどこかでご一緒できればと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします^^
突然失礼します。
小山さんって私の同年の方ですね!
あっていれば当時1番手の後衛の方でペアは山本さんだったかと思います。
関口東海林ペアとかの1つ下の世代だった方ではないでしょうか?
1年前のコメントにいきなり失礼しました。
コメントありがとうございます。
ソフトテニスの世間は狭いですからね(^^
昔同じ競技をやっていたということで、懐かしい名前を見ただけで私もテンション上がっちゃうタイプです。
学生時代の些細なご縁が、その後もずっと続いていくのも競技を長く続けることの恩恵ですね。