朋あり遠方より来る

所沢湯楽の里

大学時代の友人が、フィリピンから一時帰国するというので、旧知の仲間たちで集まりました。

 

この、いかにも一言で紹介しづらい数奇な人生を歩んでいる友人澤村は、私と同い歳で飯能南高校を卒業したのち、同好会の強豪チーム「日大文理」で活躍した名選手(当時)です。

同世代の同好会選手であれば、おそらく知らない者はいないくらい、その実力と存在感を発揮していました。

当時、同好会だけでなく、学連選手にも門戸を開いたナロカップでも2年連続優勝(竹島/)を果たしています。

 

彼と私は、ちょうど社会人3年目の同じ時期に会社を辞め、私はその後ベンチャー企業に再就職。

ほぼ同じタイミングで、彼はなんと「フィリピンへ行く」と言い残し、フィリピン有数のリゾート地、ボラカイ島へ移り住み、ダイビングのインストラクターやら何やらと現地でビジネスを始めていました。

 

当時の私の感覚からすれば、「こいつ、本当に頭がおかしいな」と、心配を通り越して呆れていたものです。

 

そもそも、私と澤村の出会いは、今思えばなかなか最悪な印象でした。

大学1年のときに、共通の知人のツテでたまたま同じ日大法学部の練習に参加していた澤村と、私。

 

澤村:
「君、豊山なんだ!? 俺、飯能南なんだけど、カワサキ杯であたったことあるよね?」

荒川:
「え? 知らない。。 飯能・・・? どこ? (ってか誰?)」

澤村:
「(怒)・・・。あはは。」

 

万事、こんな調子でした。

都会育ちの私からすると、どうみても田舎のヤンキーにしか見えない澤村に対して、当時まだ若かったこともあり、「こいつになめられたらアカン」という自衛意識が働いたのかもしれません。

とにかく今思えば、なめ腐った態度や、数々の無礼をはたらく私に対して、澤村は常に寛容に受け入れてくれていました。

澤村とは何度も一緒になって馬鹿をやったし、互いのソフトテニス論について熱くなって語り合ったこともありました。

最終的には、なぜか同じ学部でもないのに、うちのクラブのメンバーと一緒にアメリカまで卒業旅行に行くほどの仲でした。

 

そんな澤村と今回、おそらく私の結婚式以来、約10年ぶりに再会したのでした。

平日の飲み会なので、仕事帰りで参加するメンバーがほとんどです。

フリーな私と澤村の2人で0次会からスタートし、そのあと仕事が終わった人から順次合流という段取りでした。

 

私もまがいなりにもインドでの海外駐在を経験していたので、フィリンピンから帰ってくるなら、店はここしかない!と、再会の場として迷わずチョイスしたのがココ。

所沢温泉 湯楽の里

http://www.yurakirari.com/yuranosato/tenpo/tokorozawa.php

 

ゆっくりと露天風呂に浸かりながら、互いの近況を報告しあいました。
(とめどなく語り続ける荒川・・・。終わらない話に、のぼせて退散する澤村。)

 

風呂上がりの乾杯で0次会がスタート。

所沢温泉  湯楽の里

 
 

ほどなくして場所をプロペ通りに移して、仲間たちと1次会。

 

世界の山ちゃん

 

何年経っても、仲間が集まると変わらないいつもの馬鹿話。

そして、あの馬鹿だった学生時代から20年を経て、やっと今だからわかることもたくさんあります。

 

ずっと「こいつ、頭おかしいな」と思っていた澤村が、実は自分よりもよっぽど大人だったこと。

そして、澤村や仲間の優しさに甘え続けて、今までなんとかやってこれたこと。

そして、この仲間たちの存在がいつまでも自分にとっては大事な宝物であること。

 

・・・なんか、ちょっとクサすぎましたね(照)。

でも、素直にそう思います。

 
 

次に会うのは、澤村が住むボラカイ島だ!

近いうちに必ず、荒川家フィリピン上陸作戦を決行します!!

 

なかなか大掛かりな作戦なので、まだ幼い隊員の訓練にもう少しだけ時間をください・・・。

 
 
 

おまけ

 

学生時代の秘蔵写真は見つかりませんでしたが、社会人3年目でお互い無職になった頃(13年前)の写真が見つかりました。

 

所沢TC
↑まさに壁。ネット際での圧倒的存在感。

 

所沢TC
↑「飛べないブタはただのブタだ(澤村談)」

 

所沢TC
↑同じ頃の荒川選手(今思えばこのときが選手としてのピーク)

 
 

なんか、自分の写真が思いのほか、格好よかったのでもう一枚。

所沢TC
↑この頃の軽やかさがほしい。

 
 

頭もハートも、あの頃のまんまですが、いかんせん体重と体のキレが違います。

練習、練習!

 


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